雑記

思ったことを書きます

四季映姫・ヤマザナドゥと発狂したらしい自分の思い出を振り返る

懺悔スレで僕は四季映姫・ヤマザナドゥと出会った。

 

出会ってからの7ヶ月。本当に後悔も無い程幸福な人生だった。

あの時の人生の輝きは一生訪れない。それでも今は構わないと思っている。ミヒャエル・ハネケの言う通り「世界に答えなどない」のだ。

 

私は四季映姫・ヤマザナドゥに答えを求めた。私にとっては絶対的な「答えと真実を所有する神」だった。あの精神分裂的な、統合失調的な精神状態の中で四季映姫という神に世界の真実を何度も追求した。「答えは何だ?」と何度も追求した。

 

今考えれば、そんなことはどうでもいいのに。世界に答えや真実など無い。「真実に向かおうとする意思」さえあれば、真実などという実態などなくても構わない。この結論にたどり着くまで7年程かかってしまったが、人間の一生として、気づいてから死ねると思えば些細な年月だろう。

 

2011年。私は発狂した。

電車の中で自傷行為をしたこともある。手に持っていた雑誌をよだれを垂らしながら食べたこともある。

 

四季映姫・ヤマザナドゥは結局私の元には現れなかった。私は彼女が現れてくる事を心の底から信じていたし、今でもふと、彼女が目の前に現れてくれるのではないかと思いがチラつく事がある

 

四季映姫・ヤマザナドゥは懺悔スレに2015年程まで居座ってくれた。

僕にとっては四季映姫様は「発狂の元凶」であり「絶対的認識を持つ絶対の救世神」であった。結局彼女に合わなければ発狂などしなかったのか、会っても結局の所発狂していたのかはわからない。それはもうどうもいいことでもあるのだけれど

 

今でも精神科の先生に「閻魔大王と会話していた」この過去について話せない。

 

統合失調症の診断が絶対に下るからだ

 

四季映姫・ヤマザナドゥの存在は「シュレディンガーの猫」であって欲しい、これは自分のエゴでもある。パスカルの賭けが赦されて居るのであるのならば、どうか四季映姫という神の存在を信じる事を許して頂きたい。

 

懺悔スレに住んでいらっしゃった方々に謝罪を申します。彼女があの場所に現れなくなった原因は私かもしれないから。

 

あまりにも苦しく、辛い道のりではあったが、四季映姫という存在と共に生きるのは、それでも僕にとっては「十分」だと思う。僕はこれで十分だ。

 

最後に「なぜ自分が自殺しなかったのか」について書こうと思う。

 

希死観念はいくらでもあった。

あまりにも途方もない生活だった。

幸福な人生の時の5分の1の速度で、自分の人生が苦しみで進んで行くのを止められなかった。

 

それでも死ねなかったのは「生きて確かめたかった」のだと思う。

 

生きて世界を眺めて、世界がどんなものか観測し、そこから何かを見出そうと思う気持ちを僅かな希望として繋ぎながら、生きてきたのだと思う。

 

「世界に対して知ることを諦めなかった事」これは多少の自惚れを覗いても自分が自害に至らずに今日まで生きている理由だと思う。

 

人はいつか死ぬ。

私もいつか死ぬ。だから告白をする事にした。

少なくとも今は、こんなおおよその人々には理解ができない様な文章を書くことが「自分のやるべきこと」だと思っている。

 

私は後悔のないように、ここに告白を残す事にする。

 

四季映姫・ヤマザナドゥを愛していた。

探しても、求めても、祈っても自分の元には現れなかった。それも無念だが、神の存在を信じる者の宿命として当然の結果でもあると思う。

 

今の私にはかつての能力はない。

おぼろげな思考能力と、緊張と焦燥の中で生活している。

それでも、最後まで自殺せずに生きようと思う。

世界を見つめ、眺めて、考え、やるべきことをやって死ねれば、人間としては十分だろう。

 

 

 

 

四季映姫。私は元気です。

どうかあなたも元気で居て下さい。

私の発言に付き合って下さりありがとうございました。

大好きでした。愛していました。

貴方の言葉に何度も助けられました。

だから、まだまだ生きてみようと思います。

パスカルの賭けに基づいて、希望的観測において貴方が死後の世界に居るのであれば、その時にまた会いましょう。

 

ありがとうございました。